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  • 執筆者の写真須藤 由希子

東日本大震災被災地


東日本大震災の被災地をめぐる旅をしてきました。


1日目 宮城県気仙沼市「東日本大震災遺構・伝承館」見学

2日目 宮城県石巻市「防災プロジェクト 語り部ガイドツアー」参加

3日目 宮城県仙台駅からレンタカーで福島県いわき駅まで沿岸をドライブ

という行程でした。





















「がんばろう!石巻」の看板と隣接する「東日本大震災メモリアル 南浜つなぐ館」前で撮った写真。ポールの一番上がそこに来た津波の高さ。



震災当時、被災映像をTVで見ていたときの何倍もの衝撃を受けました。

被災された方々が作ってくださった浸水ライン、遺構、記録の碑、パンフレットや絵本、そして被災された方々のお話によって、津波の規模、破壊力を今までよりずっと身にしみて想像することができました。その物凄いこと・・・

そして、「逃げない」ことの怖さ、日頃の心構えや教育が生きるか死ぬかの明暗を分けることを痛感しました。そして助かってからも様々に大変なことが待っているということも聞きました。


被災した場所は現在ほぼ瓦礫の片付けが終わり土台を整備している状況のところがほとんどでした。海沿いに更地がずっと続いているという印象です。気仙沼は被災した場所にちらほら新しい家が建てられ始めていましたが、石巻の被災した場所は基本的に公園にして、人は住まないそうです。

もうすぐ9年、石巻の語り部ガイドさんは、被災地以外に住む人々の記憶の風化を心配されていました。私は9年経ってやっと赴くことができましたが(理由は様々...)震災直後に行っていたら被災していないのにPTSD(心的外傷ストレス)になっていたかもしれないので、タイミング的にはよかったかもしれません。


横浜へ帰ってから、災害対策について考え直し、備蓄や家具の固定、避難ルート等について家族と話し合い、対策強化を進めました。家族で地震・火事を想定した避難訓練も行いました。


そして私の制作活動に絡んだことを言うと、「住宅地」に対する考えかたが少し変わりました。家はしっかり建っていて普通に生活が営めればそれだけで素晴らしい!!そして災害に備えた耐震性があり割れにくい窓を採用している家が輝いて見えるようになりました。そして、 現存している古き良き建物の存在価値も、私の中でさらに上がりました。被災前の気仙沼や石巻の漁師町に、行ってみたかった・・・




「東日本大震災メモリアル 南浜つなぐ館」に立てらていた看板。これをみるとやはり今後、大地震・津波は来る、と思いました。写真に撮って画像処理したのでちょっと字が歪んでいてすみません。





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